時間の流れ、認識の上での歴史というもの

さて、以前はそれぞれの宗教的概念からの時間の見方をすこし述べました。
時間が流れていることについては、誰も否定することはないでしょう。それが逆に進もうが、です。
そういえば、宇宙が収縮に向かえば時間は逆行していく、なんてことが書いてあったのを記憶していますがさてそれはどうなのでしょうね。
それこそ、今あるわれわれの常識や概念を根底から覆すことになりそうですが、主観しか持てないのならそれを感じる事はないのかもしれません。
では、時間という概念を歴史という流れに置き換える事が出来れば、私たちの存在もまた変容するのではないだろうか。
つまりは、私たちの一日もまた繋ぎあわせば一週間になり一年になる。そうして、紡いでいけば生きて死ぬまでの歴史となり得る。
しかしながら、日常を生きるわれわれにはそういった史観をもってい生きていくには、時間が足りなさ過ぎるのであり、それを得る前に生きることに忙殺されるのである。
人の認識を、自=他という流れに大我的なものへと変遷しうるには相当に困難かもしれない。